私の性自認について
私は、ノンバイナリー/ジェンダークィアです。
これをオープンにすることで、誰かの中で私に対する何かが変わったりするのだろうか。めっちゃ怖い。
という気持ちと、
他人にどう思われようが、結局私の中身は何も変わらないし変われないからな。
という気持ちが混在しています。
ひとまず、ノンバイナリーってなにか。
ご存知の方も多いと思いますが、ご存知でない方も多いと思うので説明をします。
ノンバイナリーは、ある人の性自認・性表現をあらわす言葉です。
バイナリー(binary)は「二元的な」という意味で、ここでいう二元は男と女のこと。
ノン(non)がつくので「そうではない」。
つまり、男か女のどちらかである、という枠組みに当てはまらない、の意。
ジェンダークィアも規範的な性別に当てはまらないことを示す言葉ですが、より能動的・政治的なニュアンスを含む感じ。
どちらの言葉も包括的なもので、ひとくくりにノンバイナリーまたはジェンダークィアと言っても、さまざまな感覚の人が含まれます。
↓Palettalkさんによる、わかりやすい漫画。
そもそもLGBTQ+とか横文字とか性自認とかいう言葉にあまり馴染みがないよ〜という方は、
この辺りが分かりやすい且つしっかりとした説明かと思います。
でも慣れていないと用語が多くて辟易しちゃうかも。心して!
・レインボーノッツ合同会社 SOGIE/ LGBT コラム
「性の多様性、SOGIE・LGBTとは」
https://rainbowknots.net/blog/1798/
・JobRainbow MAGAZINE
「【「LGBT」と違う?】セクシュアルマイノリティ・セクマイとは?【定義や種類まとめ】」
https://jobrainbow.jp/magazine/whatissexualminority
私自身の今の個人的な感覚は「男でも女でもない」。いわゆるエイジェンダー(無性・むせい)に近いと思うのだけど、ぱっきりと無性です!もちょっと違うので、「定義されない」という感じです。
自分の感覚に名前やラベルをつけること自体に特別なこだわりはないのですが、外の世界に向けてこの感覚を説明するために、ノンバイナリー/ジェンダークィアを名乗ります。
あと黙ってると「女」というラベルを勝手に貼られるので。
思い返すと少なくとも小学校低学年のころからずっと「自分は男でも女でもない」という感覚があったものの、自分を女性だと思って生きていた時期もあるし、意識的に女性に”擬態”していた時期もある。
そんなわけで、社会と繋がった感覚で自分が「ノンバイナリーだ」と自認し始めたのはここ2〜3年ほどの話です。
そういえばエイジェンダーという言葉にはさらにその数年前に出会っていたのに、自分自身と繋げることができなかった。
というか、自分のような感覚の人が外の世界にいるなんて、想像もしていませんでした。
しっかりと自認をした上で生きることも やってみると中々しんどいけど(なにせ現状社会が荒れ地だから)、1人でモヤモヤしていた20数年よりは、同じような人たちがいると知れた今の方が良い。
し、知らないまま生きていたらもっとしんどかっただろうなと思います。
これを読んでくださっている方の中には、私が意識的/無意識的に女性をやっていた時期に私と出会った方もいるかもしれません。
私が今「女性ではないです」と言うのは、自分の中で変革が起きたということではなくて
ずっと抱いていた感覚を、ノンバイナリーという言葉を通して認識し直すことができて、それをこうして表に出そうと決意できた、というだけのことです。
(ああ〜 受け入れてもらえないんじゃないか、という不安がどうしてもあって、こういうことを言ってしまう〜)
私の周りには、なんてこと無いように受け入れてくれる友人知人が沢山いる(何ならそういう方ばかりだ)けれど
社会全体という目で見たら、やっぱりそうはいかないと日々感じます。
ノンバイナリーという概念は、いわゆるLGBTQ+の中でも理解されづらいものだと思うし
LGBTQ+コミュニティの中にいる人にも、「私はノンバイナリーなんだ」と言ったら「それって何なの?」と言われたことがあります。(誰しも知らないことがあるのは当然ですが)
日々、「理解されなさ」「どこにも属せない感覚」に不安や恐れやもどかしさを抱きます。
だからこそ、少しでも知ってもらえたら嬉しいし、もし同じような人がいたら、やってこな!!と言いたいです。
どうして書いて公開するのか
自分の性自認についてオープンにしよう、文章を書こう、と思ったのは去年の12月です。
けれど、忙しさでなかなか公開するまで行けず…
というか何より、多くの人を脅かす出来事が起こる度に
「こんな私ごとで…」
というような気持ちになって、先延ばし先延ばしになっていきました。
ですが、今はもう社会の現状とかも踏まえ、黙ってたら駄目だなという気持ちです。
ずるずると12月から書いているので、もはや超長い随筆と化した7ヶ月分の文章があるのですがw
それをいきなり出すのはちょっとやめておこうと思い、今回は一部を抜粋して載せてみます。
12/28
どうして書いて公開することにしたのか
なんかもうだんだんしんどくなるから。理解されなくても大丈夫だったし、無配慮な(当然悪気はない)発言にもモヤモヤする程度だったけど、いよいよしんどい。多分こうして言葉にすることで自分に対しての実感がより出てきたことと、少ないなりに性的マイノリティたちや理解のある人たちのいる環境に身を置いてみて、その居心地の良さを知ってしまったから。
これを読んで、理解して欲しいとかは無い。私もあなたのことは理解できないから、あなたも私のことは理解できないと思う。と思って生きている。
でも、知っては欲しい。
私も、この社会や今私がいる環境の中での自分の性への向き合い方はいまいち良くわかっていないけど、この先、しんどくない方向に行けたらいいなと思う。
3/29
ワークショップとかWSオーディションに参加したい気持ちが膨らんでいて、同時に自分自身の変化に気づいた。
多分色々な都合があって、大体の場合募集要項に「性別」があるんだけど、私はそこに「ノンバイナリー」と書くということ。嘘はつけない、という感覚になっていること。あれ、今までどうしてたんだっけ。記憶にない。ここ最近応募したものには、性別の欄が無かったのかもしれない(全てがそうだったはずはない)。でも、今まで性別の欄にノンバイナリーと書いたことはなかった。性別が男・女の二択だった場合は、私は女を選択する。そういう時相手が知りたいのは、私の体がどういう形状・性質でどちらの性別に見えるかということだと思うから。毎回そういう思考を一旦挟んで確認して、消去法で女を選択する。
先日ワークショップに参加した時に、性別欄にノンバイナリーと書いた。でね、その予約者の一覧がプリントアウトされたものが受付にあって。ちらっと見えるじゃん、明らかに私の欄に長々とカタカナで性別が書いてあるのが(これは私の心象)。その瞬間にすごくドキッとしたの。あれ、私、浮いてる?!みたいな。いや少数なのはわかってるんだけど、いざ社会という場で私の存在を捉える時に、こんなに人の目が気になるんだなと思った。怖いんだな。
22 4/18
どうしてオープンにするんだろう。したいんだろう。
12月に文章にまとめようとした時には、「自分を偽ったままでいるのは、いよいよしんどい」という気持ちが大きかった。もちろん今もそう思っているけど、この数ヶ月でいろいろな体験をしたり人と話したりして、少し気持ちが変わった気がする。
これまで自分の性自認を公にすることは完全に自分のため(偽るのがしんどい、違う性を押し付けられるのがしんどい)だった。
けれど、私がオープンにすることで、私が、そして私と同じような人たちが、ひいては今より多くの人が、もっと楽に暮らせる社会に近づく一歩になると思えるようになった。
それが、今私がノンバイナリーであることを公にしようと思う動機のひとつです。
私1人ではとても小さな力にしかならないと思うけど、私にはこの文章を書くだけの余裕があって、私の性自認をただ「そうなんだ」と受け止めてくれる人たちがいて、自分からオープンにしようと思えていて、オープンにしても(少なくとも直接的な)命の危険に晒される可能性は低いと思える環境にいる。
したくてもできない人もいる。なら、できる私が声に出していくことは意味のあることなんじゃないか、と思えたのでした。(直接的にも間接的にもこのマインドに至らせてくれた友人知人を思い浮かべて、感謝の念!)
たぶん怖さとか、オープンにすることで嫌な思いをすることがあるんじゃないかとか、そういう不安も大きいのだと思う。
だから、私が自分の声を殺さないことは意味のあることだと思えていれば、心の支えになる。
これが、ここ約半年で私が考えてきたこと(超ダイジェスト版)です。
演劇をする
こんな感じで生きてきて、
私はこれから、堂々とノンバイナリーとして演劇をやっていこうと思っています。
怖いけど、もう偽ったままではやれないからです。
でも聞いて!
実はひとつ、性別欄にノンバイナリーと書いて応募したオーディションに受かっていて、11月に出演予定です。
ありのままの自分が認められたようで、私にとってはとても大きな出来事でした。楽しみだね。
でもさ、やっていこうと思っていますと言っても、正直未知の領域に踏み出していくような感覚です。
考えれば考えるほどに、
とくに演技における「属性の表現」のようなことを考えて、ぐるぐるぐるぐる頭が回ってしまったり。
そもそも演じるって何だということなど。
私は性別の感覚としてはノンバイナリー、というか私の感覚しかわからないけれど、当事者性で言えば女性の経験もしているから...いや演技する上で当事者性は絶対条件ではないだろ、いやでも、うーん、この辺は社会的意義と切り離して考えるのはめちゃくちゃ難しいよな...
みたいな。
あと実際にモヤっとすることも多いと思うしな。
またクソ長随筆からの抜粋ですが、
22 4/22
性別欄にノンバイナリーと書いて応募した演技のワークショップで、少し、と言いたいけど、主観的にはかなり、嫌なことがあった。
この役を男の人に、この役を女の人に、と割り振る時、そこで求められる「男」「女」とは何のことを指すんだろうか。明らかに、例えば過去や現代の特定の社会構造の話とかなら、性別が重要な意味を持つのは分かる。けれどもそうじゃない場合の男か女かは、本当に男か女かというカテゴライズで表すのが最適ですか?そういう振り分けというか、「男」「女」といったら特定の要素が共通認識としてイメージできる、と盲信しているような発言は、演劇の作り手として「雑だな」と思ってしまう。
こういうこともあるし考えるし。
(いや、これが実際のキャスティングだったら、そりゃあ性別のバランスは大事でしょうけどさあ。
てかわざわざ性別聞いといて(写真も送った)、男でも女でも無い奴が来たら無視すんのかい。それはひどいよ〜。
こういう時、自分がないがしろにされたことも悲しいけど、「やっぱシスヘテロ規範ってめちゃくちゃ内面化されてるよね〜〜〜」と実感するのが辛いのよなあ。
まあ日常もそんなことばっかりだが!
これは愚痴です!!ごめんなさいね!!)
まあだから、自分の感覚に嘘をつかず、現実と折り合いをつけつつ、たぶん時に戦いつつ、やっていくしかない気がします。
やっていこうな。 自分へ、自分より。
もし一緒に何かしたり、考えてくれる人がいたら、ぜひ声をかけてください。
ひとまず!
私はノンバイナリーであることと、この先自分の性自認を偽らずに生きていくよという、とっても個人的な宣言でした。
私のことを前から知っている方にとっては、もしかしたら衝撃的な発表だったかもしれません。
私にとっては普通のことなので、誰がどのように感じるのかは本当に測りかねるのだけど。(だから怖いのだけど)
でも、あなたと出会った頃も私は私でしたし、性自認を公に言っても言わなくても、私は本質的には何も変わりません。と思っています。
以上!
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
7ヶ月分のクソ長随筆も、近いうちに公開できたらと思っています。
そちらでは私のアイデンティティの細かいことや、自認に至るまで〜今もがいている様や、私から見た社会のことを割と感情的に書いています。
知ってる人の日記読むのって楽しいので、割と面白い読み物だと思うのだけどどうだろうか。
良かったら読んでください。
それではまた〜!